SaaS ビジネスモデルについて
Software as a Service (SaaS) はソフトウェアの請求や提供方法の新たなモデルであり、従来のソフトウェアライセンス販売モデルより非常に優れているため、ソフトウェアビジネスは SaaS モデルを中心とした構造に変わってきました。結果として、SaaS ビジネスは独自のモデルを持つようになっています。残念なことに、多くの起業家はより意味のある失敗に予算を費やすのではなく、過去に誰かが犯した失敗を繰り返して、このビジネスモデルにたどり着きます。
読者もその一人になることがないよう、これから SaaS ビジネスの現状を駆け足でご紹介します。目標は、SaaS ビジネスモデルについて理解を深め、自社製品をロータッチ (low-touch) とハイタッチ (high-touch) のどちらのモデルで販売すべきかがわかるようになることです。SaaS ビジネスをすでに運営している方は現状を見直し、改善に向けて動き出しましょう。
モバイルアプリの販売 (プラットフォームのアプリストア独自の請求モデルが適用される) 以外のソフトウェアビジネスを行う起業家は、SaaS モデルをしっかりと理解したほうがよいでしょう。そうすれば、製品と会社についてより適切な決断を下し、ビジネスにとって脅威となる問題を何年も前に察知できるようになるだけでなく、投資家との意思疎通にも活用できます。
SaaS が市場を席巻している理由
顧客は「とにかく便利」という理由で SaaS が大好きです。通常、SaaS を利用する際は何もインストールする必要がありません。専門の担当者がいない環境でよくあるように、ハードウェアの故障や操作ミスによって重大なデータ損失が起きることもありません。SaaS 企業が実現する可用性 (たとえば、ソフトウェアが利用可能な状態で正常に動作している時間の割合) は、一般企業の IT 部門や個人が実現できる数値を上回ります。
また、SaaS は他の請求モデルで提供されるソフトウェアよりも安く感じる値段設定になっています。これは、長期的にどのソフトウェアを採用したらよいか確信が持てないユーザーや、短期間だけソフトウェアが必要なユーザーにとっては大きなポイントです。
開発者は、請求モデルというより、主に提供方法を理由に SaaS を好んでいます。
ほとんどの SaaS は特定の企業のインフラ上で継続的に開発、実行されます (企業内で使われる SaaS では例外もありますが、ソフトウェア企業が外部に販売するほとんどの B2C (消費者向け) と B2B (企業向け) の SaaS へのアクセスは、自社が管理するサーバーからインターネット経由で行われます)。
ソフトウェア会社はこれまで、プログラムが実行される環境を管理していませんでした。これは、開発チームの負担やカスタマーサポートへの問い合わせを引き起こす大きな要因の 1 つとなってきました。顧客のハードウェアにインストールされたソフトウェアは、システム設定の違いや、インストールされている他のソフトウェアとの相互作用、そして操作ミスの影響を受けます。開発段階でこのような点を考慮に入れると同時に、カスタマーサービスでも対応が求められます。ソフトウェアを SaaS とインストール型の両方のモデルで提供する場合、インストール型のモデルでは各顧客につき 10 倍以上のサポートリクエストが発生すると言われています。
企業や投資家は、ソフトウェアライセンスを販売するよりもはるかに魅力的であるという理由で、SaaS 請求モデルを好んでいます。SaaS による収益の特徴は、継続的に発生し、予測が可能であるということです。そのため、キャッシュフローも確実に予測でき、企業はそれに沿って計画を立てることが可能になります。そして、将来のキャッシュフローと引き換えに、投資家から得た資金を当面の成長のために心置きなく使うことができます。その結果、一部の SaaS 企業は、歴史的に見ても特に急速な成長を遂げるソフトウェア会社となりました。
SaaS セールスモデル
SaaS のセールスモデルは、大きく分けると 2 つあります。SaaS ではセールスモデルが企業と製品の大部分に影響するため、経験のない起業家は衝撃を受けるでしょう。典型的な誤りの 1 つは、製品や市場と、選択したセールスモデルのミスマッチです。これを修正するには何年もかかります。
SaaS では、B2C なのか B2B なのか、独立資本なのか VC が入っているのか、どのような技術スタックに基づいているのかといった点ではなく、セールスモデルが製品と会社の方向性を決定づけます。
ロータッチ SaaS のセールス
一部の SaaS 製品は、人手をかけなくても売れます。
このような製品はロータッチ SaaS と呼ばれ、大半の顧客がセールス担当者とやり取りせずに購入できるようにデザインされています。主な販売ルートはウェブサイトやメールマーケティングです。多くの場合、ソフトウェアの無料試用 (トライアル) が可能で、気軽に SaaS の試用を開始して継続的に使用できるよう、徹底的にハードルが取り除かれています。
ロータッチ SaaS にセールスチームが関わることもありますが、その場合は「カスタマーサクセス」チームとして編成されることが多く、ソフトウェアの購入を勧めるというより、無料試用のユーザーが製品に馴染み、試用期間が終わるまでに有料ユーザーとなるように働きかけることに力を入れます。
ロータッチ SaaS のカスタマーサポートは、段階的に提供されるのが一般的です。まず、担当者の介入が必要なトラブルが極力生じないように製品を最適化したり、顧客全体が活用できる学習リソースを構築したりすることを行い、担当者によるサポートは最終手段として提供します。とはいえ、多くのロータッチ志向の企業には非常に優れたサポートチームが存在します。SaaS の成長は長期的な顧客満足にかかっているので、20 カ月に 1 回しかサポートチケット (顧客からの問い合わせを数える単位) が発生しない製品でさえ、サポートチームにかなりの投資をする傾向が見受けられます。
ロータッチ SaaS は、月単位のサブスクリプションで販売され、月額利用料金は B2C では約 $10、B2B では $20 〜 $500 となるのが一般的です。これは年間契約額 (ACV) としては約 $100 〜 $5,000 に相当します。ロータッチ SaaS 企業では一般的に ACV を目安として使わず、月額単位でビジネスを考えますが、ハイタッチの SaaS アプリケーションと比較することも重要です。
ロータッチ SaaS の起業家に最も重要な指標を尋ねるとしたら、MRR (月間経常収益) と答えるでしょう。
Basecamp は、ロータッチ SaaS ビジネスの模範となる実例です。JIRA、Trello、Confluence その他の製品を作っている Atlassian は、このモデルで最も成功している上場企業でしょう。
ハイタッチ SaaS のセールス
製品によっては、採用すべきか、またどのように採用すべきかの決定について、顧客へのサポートが必要です。
そのような製品はハイタッチ SaaS と呼ばれ、セールス担当者が、ソフトウェアを採用、運用、そして継続使用するように企業に働きかけます。
組織の心臓部はほとんどの場合、セールスチームであると言えるでしょう。セールスチームは専門の役割別に分割されていることが多く、見込み客を探す営業開発部門 (SDR)、特定顧客への販売プロセスを担当するアカウントエグゼクティブ (AE)、そしてポートフォリオ内の個々のアカウントの満足度や継続的成果に責任を持つアカウントマネージャー (AM) などに分かれます。
セールスチームは、一般的にマーケティングチームによって支えられています。マーケティングチームの主な仕事は、セールスチームが受注を取れる質の高い見込み客を安定的に生み出すことです。
ハイタッチ SaaS モデルで提供される優れた製品は多く存在しますが、このモデルでは開発や製品そのものよりもセールス力のほうが重視されます。
カスタマーサポートの構造はハイタッチ SaaS 企業ごとに大きく異なりますが、予想される利用度が非常に高いことを共通点として挙げることができます。一定期間における各顧客の問い合わせ件数は、ロータッチ SaaS よりも桁違いの多さになります。
注意すべき点として、ハイタッチセールスの対象は消費者である場合もありますが (たとえば、保険は委託代理業者を通して消費者に販売されてきました)、大部分の SaaS は企業向け (B2B) であるということです。B2B では、対象となる顧客の種類、ACV (平均契約額 (average contract value) または年間契約額 (annual contract value))、そして取引の複雑さに大きな幅があります。
ローエンドとなる中小企業 (SMB) 向けのハイタッチ SaaS セールスでは、ACV は一般に 6,000 ~ 1 万 5,000 ドルですが、場合によってはそれ以上になります。SMB の定義は人によってさまざまですが、「1 万ドルのソフトウェアを採用するのに十分な知識を持った企業」としましょう。地元の花屋は除外されるでしょうが、2 人の共同経営者が運営する従業員 4 名の歯科診療所は対象にできます。
ハイエンドは通常、「エンタープライズ」と呼ばれ、大企業や行政機関が対象となります。エンタープライズ向けの取引は 10 万ドルが最低ラインであり、上限はありません。
ハイタッチ SaaS の起業家に最も重要な指標を尋ねるとしたら、ARR (年間経常収益) と答えるでしょう (これは、チャーン収益を除くすべての収益の合計から、1 回限りのセットアップ料金やコンサルティングサービスなどのコストといった継続的に発生しない項目を差し引いた金額のことです。SaaS の経済的な魅力は時間経過に伴う成長にあるため、1 回限りの収益 (特に、利益率が比較的低い収益) は起業家や投資家の関心を引きません)。
Salesforce はハイタッチ SaaS ビジネスの模範となる実例であり、このモデルについて書籍も発行しています。小規模のハイタッチ SaaS ビジネスは多数ありますが、ロータッチ SaaS ビジネスほど目立ちません。これは主に、ロータッチ SaaS では自社を目立たせることが顧客獲得戦略の 1 つになりますが、ハイタッチ SaaS ではこれは必ずしも最適な戦略にならないからです。たとえば、多くの小規模 SaaS ビジネスはニッチな市場にサービスを提供して、ひそかに 10 万ドル、100 万ドル単位の年間売上を得ています。
ハイブリッドのセールスアプローチ
機能が同じ製品についてロータッチとハイタッチの両方のセールスモデルを実施して成功している会社もありますが、そのような SaaS ビジネスは極めてまれです。これらのモデルはすべての社内業務に緊密に組み込まれるため、両方のモデルを同時に試した場合に最も起こりがちなのは、片方のモデルだけが推進されて軌道に乗るという結果です。
ハイブリッドのアプローチでは、一方のセールスモデルにもう一方のモデルの一部を要素として取り入れるのが一般的です。たとえば、多くのロータッチ SaaS ビジネスのカスタマーサクセスチームをよく見ると、インサイドセールスのような役割をしていることがあります。逆に、ハイタッチ企業がロータッチ企業の戦略を借りることはあまりありません。よく実施されるのは、販売する製品の見込み客を生み出すために試供製品をロータッチ風に提供する、という戦略です。
SaaS の基本方程式
基本的に、SaaS モデルではソフトウェアを金融商品に見立てます。その意味は、ソフトウェアを表示価格の付いた製品として販売するのではなく、キャッシュフローの見込める金融商品としてソフトウェアを提供するということです。
SaaS モデルを洗練された数式にすることもできますが、シンプルな方法では、(通貨の時価価値を無視するといった) いくつかの仮定と高校レベルの数学を使用します。SaaS について 1 つだけ学ぶとすれば、それはこの方程式になるでしょう。これは、SaaS ビジネスに関連する知識を理解するための鍵となります。
中心となる考え方はとてもシンプルで、「長期収益 = 顧客数 x 顧客 1 人当たりの平均生涯収益」です。
顧客数は、「顧客獲得数 x コンバージョン率」として計算されます。顧客獲得数は、ロータッチ SaaS では見込み顧客の注目を集めるうえでの効果性を示し、ハイタッチ SaaS では見込み顧客を見つけて営業をかけるうえでの効果性を示します。コンバージョン率は、正規顧客に転換した見込み客の割合です。
顧客 1 人当たりの平均生涯収益 (顧客生涯価値 (LTV)) は、「支払う料金 x サービスを利用する期間」です。顧客が特定の期間に支払う金額と、サービスを利用する期間の長さによって算出します。
ユーザー 1 人当たりの平均売上額 (ARPU) は、特定の期間での顧客 1 人当たりの平均的な売上額です。
解約率は、一定期間中にサービスへの支払いを停止した顧客の割合です。たとえば、1 月に 200 人の顧客が支払いを行い、2 月には 190 人しか支払いをしなかったとすると、解約率は 5% になります。
顧客生涯価値は、いくつかの仮定によって単純化すると、無限等比級数の和として計算できます。実は、これは解約率の逆数を計算するのと同じです。1 カ月に 5% の顧客を失う製品の顧客寿命は 20 カ月と予想されます。製品の料金が月額 $30 であれば、新規に契約した顧客 1 人当たりの生涯価値は $600 になります。
SaaS ビジネスモデルが意味すること
SaaS ビジネスを改善すると、その効果は倍数的に高まります。
マーケティングの強化などによって顧客獲得数を 10% 改善し、製品の改善やセールスの強化などによってコンバージョン率を 10% 改善した場合、全体的には 20% ではなく 21% (1.1 x 1.1) の改善になります。
SaaS ビジネスを改善すると、信じられないくらいその効果が高まります。
SaaS の利幅は非常に高いので、SaaS ビジネスの長期的な価値は、実質的に長期的な収益成長の数倍に結びついています。したがって、コンバージョン率を 1% 向上させることは、単に次月または長期にわたる収益が 1% 増加したことを意味するだけでなく、会社の企業価値が 1% 上がったことを意味します。
SaaS ビジネスを向上させる最も簡単な手段は価格の調整です。
顧客獲得数、コンバージョン率、そして解約率を改善するには、部門の枠を超えた大規模な取り組みが必要です。通常、料金体系モデルの変更で必要なのは、低価格から高価格へ変えることです (この意味は、弊社が作成したロータッチ SaaS モデルの価格設定に関するガイドの中でしっかり説明されています)。
SaaS ビジネスは最終的に漸近線に近づきます。
顧客獲得数、コンバージョン率、解約率が固定化してくると、会社の収益が安定期に差しかかるタイミングが見えてきます。これは事前に予想でき、「安定期の顧客数 = 顧客獲得数 x コンバージョン率 ÷ 解約率」です。
顧客獲得数、コンバージョン率、解約率を改善できなくなった SaaS ビジネスは、ほぼ確実に成長が止まります。(エンジニアリングチームの給与などの) 固定費を賄えないうちに成長が止まった SaaS ビジネスは、たとえすべてのことを正しく行ったとしても、不名誉な形で失敗します。
SaaS ビジネスの成長には多くの資本が必要となる可能性があります。
SaaS ビジネスには初期段階で多くの費用がかかり、アグレッシブに成長している間はなおさらです。顧客ごとの限界費用内で大きな割合を占めるのはマーケティングとセールスのコストです (多くの場合は会社の総支出額でも同様です)。マーケティングとセールスのコストは顧客のライフサイクルの最も早い段階で発生しますが、そのコストを相殺するための収益は後になってようやく回収できます。
つまり、収益成長のために最適化中の SaaS 企業は、ある一定期間中、顧客から回収する売上よりも多くのお金を支出することになります。そのお金を捻出するため、多くの SaaS 企業は自社の株式を投資家に売ることで必要な資金を得ています。SaaS ビジネスは次のようなモデルであることが周知の事実であるため、投資家にとって特に魅力的です。まず製品を作り、「プロダクトマーケットフィット」(製品が市場に適合する状態) を達成し、反復性のある戦略で多額のお金をマーケティングとセールスに費やし、最終的にそのビジネスの株式を他の誰か (IPO、アクワイアラー、または成長の可能性が高い無リスクのビジネスを探している他の投資家) に売るというのが基本的な流れです。
利幅は、当分の間はそれほど重要ではありません。
売上原価 (COGS) とは、顧客を満足させるために使ったコストのことで、ほとんどのビジネスはこれに大きな注意を払います。
プラットフォームビジネスで、物理的な売上原価が発生する企業もあります。AWS などがその例です。しかし、一般的な SaaS ビジネスでは、主な収入源はソフトウェアであり、極めて低い売上原価での運営が可能です。サービスを提供するために、顧客 1 人当たりの限界収益の 5 〜 10% 未満を費やすのが通常のケースになります。
このため、SaaS の起業家は、顧客獲得単価 (CAC: 顧客 1 人を獲得する際にかかるマーケティングとセールスの限界費用) を除き、ユニットエコノミクス (事業の経済性をユニット単位で評価、管理する仕組み) のほぼすべての要素を無視しても良いことになります。そして、ビジネスが急速に成長している場合は、CAC が妥当で、あらゆる費用を上回る収益が得られると仮定して、顧客数と直接連動しない費用 (エンジニアリングコスト、一般管理費など) をすべて無視できます。
SaaS ビジネスは成長するまでにしばらく時間がかかります。
いわゆる「ホッケースティック」のような成長曲線が、マスコミで良く話題となります。しかし、SaaS ビジネスでは、製品やマーケティング方法、セールス方法を確立してから、全体が首尾よく動きはじめるまでには長くかかることがほとんどです。これは、死ぬほど長く、緩慢な SaaS スロープと言及されてきました。
成長率予測は、SaaS 業界では幅広い差があります。
自力で創業した SaaS ビジネスが創業チームに相応の給与を払えるほどの利益が出るまで、18 カ月はかかります。そこに達した後の企業の成長率はさまざまですが、たとえば継続的な前年度比 10 ~ 20% の収益増加があれば、すべての利害関係者に非常に満足のいく結果をもたらすでしょう。
出資を受けている SaaS ビジネスは、資金を成長に変えるようにモデル設計されています。つまり、ビジネスモデルを完成させるまで、先行投資として多くのお金が失われます。出資された SaaS ビジネスで、この過程を経なかった企業はないといっても過言ではないでしょう。
SaaS の収益モデルが完成した後は、規模を拡大し、結果として資金がもっと速く、もっと多く失われていきます。ソフトウェア業界を観察する多くの人たちにとって、これがビジネスの成功の証しだということは直観に反しているでしょう。しかし、もしビジネスが成長し続ければ、最終的に払えない累積赤字はありません。一方で、成長がなければビジネスは失敗します。
アグレッシブな成長を目指して SaaS ビジネスを運営するのは、とてつもないストレスです。ロケットに乗っているようなもので、加速するためにどんどん燃料を燃やし続けなければいけません。そのうえ、不具合があればすぐさま爆発します。
アグレッシブな成長を目指す SaaS 企業の成長率予測としては、3、3、2、2、2 を目安にすると良いでしょう。企業は実質的な基準値からはじめ (たとえば年間経常収益 (ARR) 100 万ドル以上)、年間収益を 2 年連続で 3 倍にし、その後に 3 年連続で 2 倍にし続けなければいけません。投資家の視点では、投資した SaaS ビジネスの初期成長率が毎年 20% というのは、ほぼ失敗を意味します。
知っておくべきベンチマーク
SaaS の創立者がよくする質問は、「この数字で大丈夫ですか?」です。
これは、意外にも答えるのが難しい質問です。なぜなら、業種、ビジネスモデル、会社の成長段階、創立者の目標など、異なる要素が多数あるからです。しかし、経験を積んだ SaaS の起業家には、いくつかの基準があります。
ロータッチ SaaS のベンチマーク
コンバージョン率:
ほとんどのロータッチ SaaS ソリューショは無料トライアルを提供しており、ユーザー登録の際は最低限の個人情報だけが求められるか、クレジットカード情報を入力する必要があります (解約しなければ自動的に支払いが開始されます)。このどちらの方式にするかで、無料トライアルの意義が大きく変わります。比較的手間のかからない前者のトライアルに登録するユーザーは、ソフトウェアの評価にはあまり真剣ではなく、購入するかどうかは後でじっくり考えます。一方、クレジットカード番号を提供するユーザーの多くは、事前に十分に調査しており、試用した製品に不満がなければ料金を支払う意志があります。
そのため、それぞれのコンバージョン率は桁違いに異なります。
クレジットカード情報が不要なロータッチ SaaS トライアルのコンバージョン率:
- 1% よりかなり下: プロダクトマーケットフィットが不十分な証拠
- 1% 前後: 展開のしかたが良い場合の基準値
- 2% 以上: 極めて良い
クレジットカード情報が必要なロータッチ SaaS トライアルのコンバージョン率:
- 40% よりかなり下: プロダクトマーケットフィットが不十分な証拠
## 40% 前後: 展開のしかたが良い場合の基準値 - 60%: 好成績
最初にクレジットカード情報の入力が必要な場合の方が、新規有料ユーザー数は多くなります (トライアル開始数が減る以上に、トライアルから有料へのコンバージョン率が増えます)。この傾向は、顧客とより良い関係を築き、トライアルユーザーを活発なユーザーに変える (ユーザーがソフトウェアの効果性を理解するように働きかける) 手法がより洗練されると逆になります。これは、プロダクト経験の改善、顧客ライフサイクルに合ったメールの配信、カスタマーサクセスチームなどを通じて実現できます。
(トライアルへの) コンバージョン率:
ユニークページビュー数とトライアル開始数の違いからコンバージョン率を測れますが、これは最も実用的な指標というわけではなく、この数字から成果を予測するのは難しいでしょう。
トライアルへのコンバージョン率は、質の高い訪問者を惹きつけているかどうかによって大きく変動します。直観に反しますが、マーケティングが得意な企業は、そうでない企業よりもコンバージョン率が低い傾向があります。
マーケティングが得意な企業はより多くの見込み客を惹きつけますが、その中では、提供する製品にあまり適合しない見込み客が割合的にも数的にも多くなります。対照的に、マーケティングが不得意な企業を見つけるのは、その市場の目利きだけです。このような見込み客は現状にとても不満があり、その解決策を真剣に探し求めているため、不釣り合いなほど良い顧客になる傾向があります。現状より良いものを得られる可能性があれば、名の通ったブランド会社でなくても喜んで利用するでしょう。それ以外の顧客はそれほど積極的に解決策を求めておらず、有名企業や Google 検索結果の目立つ位置に表示された会社を選んで満足しているか、新たなベンダーと取引するリスクをとる必要性を感じていない可能性があります。
顧客解約率:
ロータッチ SaaS では、顧客のほとんどが月毎の契約をしているため、解約率も月単位で考えます (年間契約を販売するというのは名案です。前払い金を入手でき、解約率が低くなるというメリットがあります。ただし、解約率をレポートする際は、年間契約の影響も含めて月単位の数値を算出するのが一般的です)。
- 2%: 非常に定着率の高い SaaS 製品、強力なプロダクトマーケットフィット、製品が原因でない意図しない解約を減らすための相当な投資を行っている。
- 5%: 最初はこの辺り
- 7%: 正しい目標設定ができていないか、難しい市場に対して販売している可能性がある
- 10% 以上: プロダクトマーケットフィットが到底及んでおらず、会社の存続にかかわる脅威を示している
一部の市場は、構造的に解約率が自然に高くなります。生産消費者 (プロシューマー) あるいはフリーランサーなどは廃業率が高く、結果的に解約率へ影響します。企業は倒産する可能性がずっと少なく、最後の $50 まで資金繰りが必要になることはないでしょう。
値段が高くなるとより良い顧客が選別されるため、値上げは起業家が思うよりもはるかに効果的です。価格を 25% 上げると、製品を購入する顧客層が変わるので、解約率が 20% も下がることがあります。 そのため、ロータッチ SaaS ビジネスが次第にハイエンドな市場へと移行することはよくあります。
ハイタッチ SaaS のベンチマーク
ハイタッチ SaaS ビジネスでは、コンバージョン率の測定方法と実際の数字が企業ごとに大きく異なります。主に「機会」の定義が違っていることが多く、たとえ定義が同じであっても、業種やセールスプロセスなどの違いに左右されます。
ただし、解約率はあまり変わりません。企業の初期段階において年間解約率が約 10% というのは妥当で、7% を達成できれば上出来です。覚えておきたい注意点は、平凡なハイタッチ SaaS ビジネスであっても、構造上、最高のロータッチ SaaS ビジネスよりも解約率が低くなるということです。
ハイタッチ SaaS ビジネスは多くの場合、いわゆる「ロゴ」チャーンと収益上のチャーン (損失) を算出します。ロゴチャーンとは、ソフトウェアを使用している部門数、ソフトウェアを使用できるユーザーの数、支払い内容などに関わらず、1 つの企業を 1 つの単位 (ロゴ) とみなす考え方です。ロータッチ SaaS ではこれらの解約率がほとんど変わらないので、この区別はそれほど重要ではありません。
ハイタッチ SaaS ビジネスは、顧客寿命の期間中に段階的に収益を増加させるために、使用できるユーザーの数を増やしたり、追加の製品を提供したりします。この際に役に立つのが、年ごとのコホート (統計因子を共有する集団) 別の収益の差を示すネットレベニューチャーン (純収益離脱) です。ハイタッチ SaaS ビジネス向けの黄金基準は、ネガティブネットレベニューチャーン (マイナス純収益離脱) です。これは、アップグレード、前年同期比での契約規模の増大、既存顧客へのクロスセルの影響が、ソフトウェアの利用の終了 (または削減) を決定した顧客が収益に与える影響を超えている状態を指します (ロータッチ SaaS ビジネスでは解約率が高すぎるため、ネガティブネットレベニューチャーンに至ることはまずありません)。
プロダクトマーケットフィット
SaaS で重要なのは数値指標だけではありません。SaaS 企業の初期段階で数字に置き換えるのが最も難しいのが、プロダクトマーケットフィットと呼ばれるものです。Marc Andreessen が作り出したこの用語の意味は、簡単に言えば「特定の市場 (マーケット) のために作った製品 (プロダクト) を気に入ってくれる顧客が見つかったか」ということです。
プロダクトマーケットフィットがまだ実現していない製品は、相対的に低いコンバージョン率と高い解約率に苦しめられます。プロダクトマーケットフィットを実現した製品では、成長率が著しく加速し、コンバージョン率が高くなります。また、ユーザーは全般的にその製品を喜んで使っています。
SaaS のシリアルアントレプレナー (連続して SaaS ビジネスを起業する人) は、プロダクトマーケットフィットをどう表現してよいか苦労することが多く、「もし達成すれば、達成したと分かるだろうし、達成しているか怪しいと思うなら、それは達成していないということだ」と言います。その結果は、毎回の商談が苦行になるか、それとも顧客が自分から製品に手を伸ばす状態になるかの違いとなります。
プロダクトマーケットフィットを達成している多くの SaaS ビジネスモデルは、最初からそうだったわけではありません。時にはその状態に至るまで、何カ月も何年もの間、試行錯誤を繰り返します。その期間で最も重要なのは、自然に考えるよりもずっと多くの顧客と話をすることです。ロータッチ SaaS の起業家は、何らかの理由を付けて、無料トライアルに登録したすべてのユーザーと話をすることができます。販売価格を考えると、このようにすることは経済的に見て持続可能ではありませんが、プロダクトマーケットフィットが整っていない SaaS ビジネスの運営も持続可能ではありませんし、顧客から学べることを考えると十分に元が取れます。
プロダクトマーケットフィットは、単に機能についての感想を聞いて、その機能を作れば良いという訳ではありません。最良の顧客たちが話す共通点にしっかり耳を傾け、それを取り入れる工夫をしましょう。これがマーケティング、伝わるメッセージ性、SaaS 製品のデザインなどを再考慮する機会になり、最良の顧客のニーズにもっと密に迫れます。
「最良」の顧客とはどんな顧客でしょうか?一般的に言うと、コンバージョン率が高く、解約率が低く、ACV が比較的高いセグメント (業種や規模、ユーザー情報などによる顧客区分) のことです。現時点でロータッチ SaaS ビジネスがよく行う方法は、まず幅広いユーザー層に対応した製品を提供した後、その中で特に洗練されたユーザー向けにニッチな製品をいくつか開発して勝負をかけるというものです。
Stripe Atlas が今後公開するガイドでは、プロダクトマーケットフィットを実現する方法や、会社の設立方法、ユーザーの話を聞く方法、そしてオンラインビジネスのあらゆる局面を最適化する方法について扱う予定です。詳細が気になる方は、メールアドレスをお知らせください。そして、この他にオンラインビジネスで役立ちそうなガイドのアイデアをお持ちでしたら、atlas@stripe.com までお寄せください。
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